#016 陶磁器文化の身体化
September 21, 2016 - Masataka Baba
僕の実家は伊万里の玉屋の前の商店街、小さなタバコ屋です。タバコだけじゃなくて雑誌やちょっとした文具なんかも売っている、町の便利屋といったところでしょうか。
家には引き出物でもらった伊万里焼や有田焼が溢れていて、当時はその価値もわからず、少々派手な絵柄にいちゃもんすらつけていました。
例えば、さっぱりとしたお茶漬けを、こってりとした有田焼の器で食べるのは微妙な気分でした。しばしば、ばあちゃんに「このお皿は、お茶漬けにはあえあんばい※1」と言って困らせたのを覚えています。「これしかなかっけん、がまんせんば」と言っていたが、なんとも贅沢、かつ、ちぐはぐな話です。こんなふうに幼い頃から有田焼や伊万里焼に囲まれて育ちました。
大人になってちょっと贅沢な料亭のような場所に接待で連れられて行った時。前菜に出された器が、見慣れた赤絵とコンポジションだったので「お、柿右衛門ですね」と、ごく自然に話しかけました。僕のキャラクターとはあまりに違うそのフレーズに周りの人は驚いて「そんなことがわかるんですか、さすが建築家」的なことになってしまいました。もしそこで音楽が流れていても「これは、シューベルトの何番ですね」とは絶対になりません。出てきたのが偶然に柿右衛門だったからです。この宴席では意味なく僕の文化人度が上がり、嘘をついたわけでもないのに嘘をついたような気持ちになって、ずっと落ち着きませんでした。
あらためて考えてみると、小さな頃から有田焼が身近にあって、いつの間にか僕には陶磁器の文化やそれを見る感覚が蓄積されていっていたのだと思います。
非常に薄く繊細で優美な曲線を指で触れていた。器の端部のシャープな感覚を唇で味わっていた。赤や青の繊細な絵付けの様子を無意識に目が記憶していた。僕は、普通の人よりずっと敏感に陶磁器に接することができています。
これは佐賀という土地によって、身体化された陶磁器文化なのだと思います。
※1「あえあんばい」は「合わないよ」の意