#005 時代を超えた有田焼サポーター
June 19, 2015 - Kenichiroh Tomonoh
祖父の代から受け継いだ柿右衛門窯の器があります。十二代の柿右衛門(1878年-1963年)さんと親交があり、ご本人から頂いたものだと聞いています。以前は杯などたくさんあったのですが、酒を飲むと気前が良くなる祖父と父の性分により、今では数点残っているだけです。
祖父は戦中・戦後の一時期、佐賀のデパートにて責任者をしており、当時、武雄に滞在されていた歌舞伎の市川猿之助(二代目)さんに、柿右衛門窯の器を大口納入(?)したのだとか。それが縁で柿右衛門さんとの親交が始まったそうです。当時、祖父らはどんな話をしていたのだろうと想いを馳せ、受け継いだ赤絵の杯で一杯飲むのも乙なもの。
日本で初めて磁器の赤絵付に成功した初代酒井田柿右衛門の物語は「陶工柿右衛門」として、大正11年から終戦の年まで20年以上にわたり、尋常小学校の国語教材として使用され、芸術家の感性、技術者の探究心、職人としての粘り強さが魅力的に描かれており、多くの子供たちの心に残ったそうです。
調べたところ、その「陶工柿右衛門」の著者は、友納 友次郎という福岡出身の国語教育学者。祖父も福岡の出身、果たして関係は?
上記の写真は、佐賀市の柳町にある旧久富家をリノベーションし今年オープンした、ものづくりカフェ「こねくり家」にて撮影しました。旧久富家は履物商を営んでいた久富亀一氏が大正10年に建てたもの。その久富亀一氏も元は有田町出身。現代の久富家「こねくり家」では今風の有田焼の販売も行っています。
有田焼のプロモーションに何らかの形で、それぞれの時代の友納が関わっている、なんとも不思議な縁ですね。さてこれからどんな物語が始まるか?息子たちは有田焼のロボットでも作ってくれるのでしょうか。