#011 有田焼は、醤油味 塩味?・・・
December 25, 2015 - Hideyoshi Nagoya
佐賀県は、私のルーツのようです。
4代前は新潟の長岡から下町浅草に先祖は出てきました。長岡には文房具店に入ると、三文判で私の名字の「名児耶」が売っています。
しかし歴史好きの親戚がその先祖をたどったところ豊臣秀吉が、朝鮮出兵の時に佐賀県に築城した名護屋城の近辺からの出身だという事を突きとめたとのこと。
そんな縁があっても自分自身は繋がっていなかった佐賀県は有田の方から2009年にコンタクトがあったのが事の始まりです。雇用創造をと言うが、産地の最大の雇用元の窯元に元気が無い。そこを抜本的に元気にしない事には何も始まらないとその方はお考えになり、何故か私に行き着いたとご連絡をいただきました。
嬉しいやら、なんだか解らないやら...とにかくお会いするも、このプロジェクトに適した方を紹介する事に決め、当時日経デザインの編集長をされていた佐賀県出身の下川さんをご紹介し、これで肩の重しが取れたと思っていたところ、そうは問屋が卸さないとばかりに、下川さんが「一緒にやりましょう」と、有田焼とのご縁が始まったわけであります。
400年近い歴史のある有田焼は、触れれば触れるほどに奥深く、気が付けば、すっかり深みにはまり、大ファンになっていきました。佐賀県庁の旗振りの元、400年事業としても国内振興策を考えるに至って「きんしゃい有田 豆皿紀行」ARITA SELECTION を考えて、産地に人が来て、自然と産地が動き出し、産地が活気づくインバウンド戦略を実行に移す業務も承ったのです。
答えは現場にしか無いとばかりに残った150の窯元の中から30近い窯元を選んで取材を致し、最初はカタログをつくるつもりが、聴けば聴くほど面白い窯元たちの生い立ちや手技手法!これはいっその事本を出版し、長く残すべきと出版社を口説き、本を作りました。どうせならば、日本で一番の百貨店新宿伊勢丹の一階の伝説のステージ「解放区」でスタートを切りたいと願えば叶うもので、展示販売行うと、3000枚ものお皿が1週間で飛ぶように売れ、現在も日本国内でキャラバンは続いています。
昨今若い人に有田焼とは?と尋ねると「醤油味、塩味?」と食べ物と間違える人までいるという話を聞きました。日本の磁器の産まれた聖地を日本人自身が大切にし、401年402年と次へのつながりが大事ですね。400年の節目を越えて、モノづくりや歴史は続きます。