有田焼創業400年事業 - 佐賀県が取り組む17のプロジェクト - ARITA EPISODE2 - 400 YEARS OF PORCELAIN. NEW BEGINNING. -
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有田焼400年の歴史

文: 木本 真澄

1616年―国産磁器誕生

 慶長の役の際に佐賀藩によって日本に連れてこられた陶工たちは当初佐賀市内の金立のあたりで陶器を焼いていました。しばらく後、代々佐賀藩の家老職を務めた多久家の領地、すなわち現在の多久市のあたりへと移されます※1

 磁器の生産が始まった具体的な年代や場所について、現代の私たちに詳しいことを知らせてくれるのは昭和40年から45年(1965~1970年)にかけて行われた有田天狗谷古窯の発掘調査です。それまでは多久家に伝わる『肥窯旧章録』という文書の内容から類推して元和2年(1616年)天狗谷とされてきましたが、それが実際の出土品を通して物的にも明らかにされたのです。

 この調査により、天狗谷には焼き方の異なる3つの陶工集団がいて、当初は陶器と磁器が一緒に焼かれていたことが明らかになりました。1610年代にはさまざまな材料や焼き方が試され、数々の試行錯誤を経て安定的に磁器を焼く方法が見つかったと推定されています。

 いよいよ安定的に磁器を生産していけるようになったのが、陶工李参平(日本名:金ヶ江三兵衛)とその一族が有田町の内山地区に移ってきた1616年でした※2。李参平らが慶長の役(1598年)の際に朝鮮半島から日本に連れてこられてから磁器の安定的な生産にこぎつけるまでに要した歳月の長さは磁器をつくる難しさを物語っています。

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 まず、磁器を焼くにはその原料となる陶石を見つけなければなりません。その点で李参平が有田の泉山に良質な陶石を発見したことは決定的に重要な意味をもちます。

 次に重要なのが焼き方です。陶器と磁器では原料や焼く温度が異なります。磁器を焼くためには窯の温度を陶器よりもずっと高くしなければなりません。陶器はおもに粘土を原料とし、空気をふんだんに送り込む「酸化焔」で焼きますが、磁器は岩石を原料とし、酸素が足りない状態で燃焼させる「還元焔」で焼きます。陶器は土気色で透明性はなく、叩くと鈍い音がするのに対して、磁器は透き通るような乳白色で、叩くと金属的な音がします。陶器は原料に含まれる鉄が酸化して色が赤みを帯びるのに対して、磁器は還元焔で焼くために青みを帯びた青磁や白磁ができます。

 科学技術が未発達な400年以上前、朝鮮半島から連れてこられて言葉も通じない異国の地で未開の土地を耕しながら磁器の原料の陶石を見つけ、生産にこぎつけた偉業には感服するばかりです。李参平はリーダーシップも備えた人物だったようで、『皿山代官旧記覚書』によると、窯焼き(窯元)120人を統率する有田皿山のリーダーとなっています。その功績から、李参平は有田町の陶山神社に「陶祖」として祀られています。

  • ※1 有田町史編纂委員会『有田町史 陶業編Ⅰ』1985年、有田町
  • ※2 有田町史編纂委員会『有田町史 古窯編』1988年、有田町
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