有田焼創業400年事業 - 佐賀県が取り組む17のプロジェクト - ARITA EPISODE2 - 400 YEARS OF PORCELAIN. NEW BEGINNING. -
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History

有田焼400年の歴史

文: 木本 真澄

1996年―世界・焱の博覧会、モノづくりからまちづくりへ

 有田焼創業400年を機に遂行された数々の事業が終焉の時を迎えようとしていた2016年12月、有田町にある焱の博記念堂では、ダンスや歌の練習会が行われていました。演目は、2017年10月に上演予定の「ミュージカルおさい2017(仮)」。1996年に、『ジャパンエキスポ佐賀 '96世界・焱の博覽会(世界焱博)』を記念し、旧西有田町で創作・上演された作品をアレンジしたものです※1。参加者たちはミュージカルを通じて、世代間の交流を深めたり、表現する楽しさを体験したりしながら、有田の歴史を学び、芸術文化を育みます。

 ミュージカルが上演される焱の博記念堂とそれを囲む総面積12ヘクタールの広大な「歴史と文化の森公園」は、1996年の博覧会を機につくられたものです。バロックやロココの建築様式を取り入れた記念堂は、約1200席のコンベンションホール、約530席の文化ホールのほか、会議室やホワイエなどを擁し、竣工以来、さまざまなイベントや文化事業に活用されています。

 「歴史と文化の森公園」の中央に位置する噴水広場にある岡本太郎氏の「花炎」は、博覧会のメインテーマ「燃えて未来」を象徴しています。火の字を3つ合わせた「焱」の文字は、「人の情熱の火」「文化創造の火」「産業発展の火」を燃やしていこうという願いを表現しています※2

 この博覧会は「“人と自然と技術”との関係を見直し、これからのあり方を皆で考え直す契機となる博覧会を創ろう※3」という壮大な理念の下に開催されました。さらに4つのサブテーマいずれも、21世紀においても変わらぬ伝統産業と地域社会にとっての重要なテーマです。

「自然を愛し、風土を生かす技術を創る―技術と自然との共生―」
「心豊かな暮らしを求め、匠の技を伝承する―ものとこころとの共生―」
「歴史に学び、未来を創造する―伝統と未来との共生―」
「地域を愛し、世界と交流する―地域と世界との共生―」

 世界焱博は、1996年7月19日~10月13日まで87日間にわたって開催され、皇室関係者や著名芸能人、スポーツ関係者等も来訪するなどして報道機関の話題を呼び、事前見込みの2倍以上におよぶ255万人が来場しました。

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 開催の発端は、当時の井本勇佐賀県知事と、県内の著名な陶芸家らとの会談のなかでもちあがった「IAC(国際陶芸アカデミー)の定期総会誘致」でした。IACはスイスのジュネーヴにある世界の陶芸関係者の組織で、陶芸関係者らの国際的な交流や陶芸とセラミックス産業の発展を目的とし、1954年から隔年で定期総会を開催しています。

 1991年、県内の陶芸関係者からのIAC定期総会の誘致要請を受けて、県は広く一般の参加者も楽しめる「国際陶芸祭」の開催と合わせた検討を始めます。翌年には、準備委員会が立ち上がり、1993年実行委員会が発足。総合プロデューサーに平野繁臣氏が就任、旧・通商産業省による特定地方博覧会制度「ジャパンエキスポ」の認定を受け、全国で6番目、九州初の国際的な博覧会として開催されることになります※4

 1970年の大阪万博の大成功に続き1981年には神戸のポートアイランド博覧会が成功をおさめ、1980年代は地方博が活況を呈します。しかし、1990年代に入ると日本経済の低迷の影響を受け、博覧会の来場者も伸び悩みます。そんななかで開催された焱博は、それまでの特産品と観光資源の見本市的な地方博とは異なり、「地域に何らかの新たな価値を創造しようとする試みや事業が積極的に組み込まれるようになった」博覧会でした※5

 主会場は、テーマ館等各種パビリオンが設けられた有田会場と九州陶磁文化館。そして、古代の焼き物を体験する吉野ヶ里会場、佐賀市、唐津市、伊万里市、武雄市と県内各地にサテライト会場を設け、武雄市文化会館では、「国際陶芸アカデミー(IAC)日本会議」が開催されました。

 主会場のテーマ館では、ファンタジックなミュージカル映像をホロビジョン・システムで上映、有田焼をわかりやすく紹介するとともに、32人・3団体、合計35の人間国宝の作品を紹介する焱のシアターとその作品を展示する「現代陶芸の精華展」で構成されました。技術と自然ゾーンには、トヨタ・リコー・日立など大企業のパビリオンが連なり、人気を博しました。このゾーンで上演され、話題となったのが、有田焼の人形を先端技術で動かす「黒髪山の大蛇退治」のカラクリ人形劇です。現在は伝統文化の交流プラザ「有田館」で見ることができます。

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 隣接する福岡県や長崎県とも連携し、“県民総参加”を合言葉に、広く県民から博覧会の企画アイデアを募り、2年前、500日前、1年前と徐々に盛り上げていきました。開催期間中は、松浦鉄道(MR)臨時駅「世界焱博駅」を開業、開幕1週間前の7月12日から14日にかけて、福岡・佐賀・長崎で「焱のリレー」が行われました。

 また、期間中に中国・景徳鎮市との友好都市締結、韓国陶磁器文化振興協会と日韓陶業親善協会と友好団体として協定を結ぶなど、アジアとの交流も深まりました。

 世界中の主要な陶磁美術館から集められた作品が一堂に会し九州陶磁文化館で行われた「文明とやきもの展」や人間国宝の作品展示などは、専門家も大いに満足する内容でしたが、同時に子どもから年配の方まで、誰もがやきもの文化を学び、楽しむことができ、陶磁器を中心テーマとするイベントとしては他に類のない大成功をおさめ、幕を閉じました。

 学生時代、焱博のステージイベントで、炎の妖精として踊ったある女性は語ります。

 「人前で踊るのが死ぬほど恥ずかしかったんです。でも、いまとなってはかけがえのない思い出です。焼き物がなかなか売れない時代になり、衰退するまちを見るのが嫌で卒業後は故郷を離れました。でも、5年ほど前から地元に戻ってきて、やっぱり、伝統あるまちっていいなと思いました。小中学校から地元の歴史に親しんだり、大人も子どもも一緒になって焼き物のことを語らうような場所があったらいいですね」

 そして、400年事業が行われた2016年、焱の博記念堂を舞台に、新しいミュージカルが始まっています。有田がもつ長いものづくりの歴史とそこで生きてきた人々のドラマ、それらは有形無形さまざまにかたちを変えながら、いまも生成発展を続けているのです。

  • ※1 『焱の博記念堂 ミュージカル』説明資料、2016年
  • ※2 世界・炎の博覧会実行委員会編『世界・炎の博覧会公式ガイドブック』1996年、佐賀新聞社
  • ※3 平野繁臣(総合プロデューサー)「巻頭あいさつ」『世界・焱の博覧会 公式記録』1997年、西日本新聞社
  • ※4 旧・通商産業省による特定地方博覧会制度による地方博覧会を「ジャパンエキスポ」という。計12回にわたり、全国各地で開催され、2001年に終了。“博覧会ブームの終焉”が言われてきたが、2016年12月、経済産業省は2025年国際博覧会検討会を設置した。
  • ※5 小林 甲一「博覧会の開催と開催都市の地域政策 ― 国際博覧会の発展と日本における博覧会の展開」2005年、復旦大学日本研究センター
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