有田焼創業400年事業 - 佐賀県が取り組む17のプロジェクト - ARITA EPISODE2 - 400 YEARS OF PORCELAIN. NEW BEGINNING. -
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History

有田焼400年の歴史

文: 木本 真澄

1915年―磁器流通の大変革「有田陶器市」

 境内に一歩足を踏み入れると、いまにも動き出しそうな一対の金剛力士像に睨まれる有田町の桂雲寺。躍動感あふれる天衣から立ち上る力強さは、繊細な美しさで見る者を魅了するインスタレーション・アートのような有田焼とは別世界へと見る者を誘います。桂雲寺は「有田陶器市」発祥の地ですが、多種多様な器の店が所狭しと立並び、会期中延べ100万人もの人が訪れる華やかな“お祭り”とはかけ離れた印象です。

 実は、陶器市が今日のような華やかなお祭りになったのは1915(大正4)年の第19回陶磁器品評会からのことで、それ以前、桂雲寺を舞台に行われていた「品評会」は、もっと厳かなものでした。窯元や陶芸家たちが天塩にかけた作品を持ち寄り、審査員たちの評価を受け、その結果に一喜一憂する、緊張感に満ちた「真剣勝負」の場だったといいます。

 針一本落ちる音さえ響き渡りそうな厳しい審査会場の隣で、賑々しく「蔵ざらえ=大売り出し」をしようと発案したのは、当時「有田之友」という冊子を発行していた深川六助でした※1 ※2。六助は、「有田之友」の同人であった中島浩気や徳見知敬らとともに、「陶祝祭」を企画し、これを有田窯業界全体の活性化につなげようと、町長久富三保助や香蘭社の深川栄左衛門らに持ち掛けます。

 当時、半端な商品を売るのは女性や子どもたちの“小遣い稼ぎ”と言われており、当初、「蔵ざらえ」の提案はなかなか受け入れられなかったようですが、最終的には有田中の人々が六助の熱意にほだされていきます。

 有田青年会が中心になって協賛会を組織し、町の本通り筋の装飾を行い、各商店は思い思いに品物を陳列する、今日の陶器市の原型ができていきます。当時開通したばかりの国鉄の駅まで購買品を無料で運搬、福引券を発行するなどといったアイデアが奏功し、第一次世界大戦がもたらした好景気もあって有田のまちは買い物客で大いに賑わったといいます。

 その傍らでは、古陶陳列会、書画骨董会をはじめ、生花、盆栽、俳句・短歌の会や謡曲会、筑前琵琶会、囲碁・将棋会など、さまざまな催し物が開催され、皿山からあふれんばかりの賑わいは、やがて有田名物「陶器市」として定着していきます。

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 この最初の陶器市の頃から日本で初めて磁器の焼成に成功した李参平や記念碑建立のことが有田の人々の話題に上るようになり、2年後の1917(大正6)年には、「陶祖李参平三百年祭」が開催されました。また、香蘭社の深川栄左衛門を委員長に、有田の名士たちのほか、旧藩主鍋島侯、多久、蓮池、鹿島、武雄の鍋島家ゆかりの人々の賛助を得て、「李氏頌徳会」が組織され、1917年の暮れには、蓮華石山に一大頌徳碑が建立されます。

 韓国併合下という時代だけに、ここに「李氏は我が有田の陶祖というだけでなく日本窯業界の大恩人」と、李参平の出身地やその功績を湛える言葉が刻まれていることは、モノづくりにかけるグローバルでフェアな「有田の精神」を、今日に伝えています※3

 有田焼の歴史を振り返るとき、明治時代を語るキーワードは「万博」です。香蘭社・深川栄左衛門や深川製磁・深川忠次らのリーダーシップの下、万博への出品を足掛かりとし、輸出産業のエースとして欧州やアメリカへと販路を開拓していきました。

 これに対して、大正時代のキーワードは「品評会」と「陶器市」です。この頃、有田窯業界は国内の競合産地に後れを取り、その巻き返しに向けた打開策が模索されていました。

 そうしたなかで始まった陶器市は、今日のマーケティングのキーワード「モノづくりからコトづくり」の先駆けともいえる動きです。大政奉還から約半世紀、日本は万博を通じて急速に欧米の技術や文化を採り入れてきましたが、大正時代になってようやく、本来の姿を取り戻したのかもしれません。

 クルーズトレイン「ななつ星 in 九州」の調度品を依頼された第14代酒井田柿右衛門は、制作工程で幾度となく「遊び心」という言葉を口にしました※4。14代は、「ななつ星 in 九州」の依頼を受けたとき、江戸時代から受け継がれ、何千とある型を見直しました。そのなかには、洗練された美しいものばかりでなく、用途もわからないひょうきんで愛嬌あふれるものもあり、昔の職人の自由な発想を今に伝えています。

 最高の職人が最高の技術と情熱を込めてつくった作品、そこからにじみ出る自然な美しさを感じる暮らしとは、なんと優雅で贅沢なものでしょうか。

 超絶技巧を駆使し、緊張感あふれる有田焼の時代から、生活を彩るリラックスして楽しむ有田焼の時代へ、陶器市は、有田焼の新しいステージの始まりであり、その精神は今日へと受け継がれているのです。

  • ※1 中島浩気『肥前陶磁史考』1985年、青潮社
  • ※2 松本源次『炎の里有田の歴史物語』1996年、山口印刷
  • ※3 有田町史編纂委員会『有田町史商業編Ⅱ』1988年
  • ※4 『誰も知らない ななつ星~密着500日「奇跡の旅」の物語~ 』(JR九州公式ブルーレイ+DVDセット)、2014年、TCエンタテインメント
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「ななつ星 in 九州」の各客室には十四代の手による手洗い鉢が納められている

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