― 序 ―
いかなるものも柿右衛門ほど魅惑的に語られるものはヨーロッパにはなかった。
クリスチアーン・ヨルフ
オランダのライデン大学教授のクリスチアーン・ヨルフは、17世紀、日本から欧州に輸出された磁器と18世紀ヨーロッパで数多くつくられた日本の焼き物の模倣品について研究し、「古き日本の色:日本の輸出磁器、柿右衛門と欧州の模倣品」※1という論文にまとめています。
オランダのデルフト、ドイツのマイセン、フランスのシャンティリー、サンクロード、メネシー、イギリスのチェルシー、ボウ、ウォーセスターといった数々の欧州の窯が当時「Imari」「Kakiemon」と呼ばれた有田の磁器を模倣しました。有田焼の輸出の最盛期は17世紀後半で、18世紀にはより安価な中国製品や欧州の製品に押されて勢いを失ってしまいましたが、その背景にはたくさんの欧州製の模倣品があったのです。
しかし、輸出が途絶えた18世紀以降もキャビネットを飾る最高級品として日本の焼き物を探しもとめるコレクターがいたため、マイセン窯の模倣品から銘を消して本物の有田焼と偽って販売する者も出るほどでした。偽物商法は長くは続かなかったようですが、有田焼の人気ぶりを今日に伝えるエピソードです。
王侯貴族たちが患った「磁器病」
17世紀、江戸幕府は鎖国政策を敷き、海外との貿易は厳しく制限されていましたが、貿易が許されていた中国とオランダを窓口として、東南アジアやヨーロッパに大量の磁器が輸出されていました。何カ月も大海原を旅するあいだ暗い船底で身を潜めていた有田焼は、荷ほどきされるや、その白い輝きでヨーロッパの王侯貴族たちを魅了したのです。
欧州の王侯貴族たちは湯水のごとく東洋磁器のコレクションに富を注ぎ込んだため、その熱中ぶりは「磁器病porcelain sickness」と呼ばれました。ザクセン選帝候アウグスト強王(ポーランド王)は、ツヴィンガー宮殿の「日本宮Japanese Palace」のすべての部屋を磁器で埋め尽くそうとしましたが、あまりに壮大な計画だったために、未完のままとなっています。
シャルロッテンブルク城に「磁器の間」をつくったプロイセン選帝侯フリードリッヒ一世、ミュンヘンのレジデンツに「鏡の間」という磁器陳列室をつくったバイエルン選帝侯のマクシミリアン二世・エマニュエルなど、当時ドイツ王(神聖ローマ皇帝)にもっとも近い貴族たちがこぞって磁器を集めました。また、ウィーンのシェーンブルン城やイギリスのハンプトン・コートなども豊富な磁器コレクションが知られています。
櫻庭美咲は、王侯貴族たちの磁器コレクションを「権威表象」ととらえています※2。日本の焼き物はその権威表象のなかでも最高級品という地位を与えられ、彼らの欲望の的となっていたのです。
- ※1 Christiaan J.A. Jörg, “THE COLOURS OF OLD JAPAN” JAPANESE EXPORT PORCELAIN, KAKIEMON AND EUROPEAN IMITATION, Dragons, Tigers and Bamboo: Japanese Porcelain and Its Impact in Europe: the Macdonald Collection,2009, Douglas & Mcintyre Ltd.
- ※2 櫻庭美咲『西洋宮廷美術と日本輸出磁器 : 東西貿易の文化創造』2014年、藝華書院