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我ら「ものづくり」の魂をつなぐ。「2016/ project」の胎動。
ボーダレスに活動する柳原照弘氏をクリエイティブ・ディレクターに、ショルテン&バーイングスをコー・クリエイティブ・ディレクターに迎え、世界で活躍する16組の多彩なデザイナーと16の窯元・商社とで、ともに生み出そうとしている新機軸のブランド「2016/」。有田焼の未来を見据え、両者の協調による「ものづくり」の核心に迫る。
有田を新たなブランドに。「1616/arita japan」から「2016/」への軌跡
有田が培ってきた400 年の歴史と、2016 年以降も引き継がれる「ものづくり」。2013年11月、佐賀県とオランダ王国大使館が「クリエイティブ産業の交流に関する協定」を結んだ。オランダとの連携をはじめとする「プラットフォーム」形成に向けた商品開発のプロジェクトが始まった。その核となるものは、過去と未来を繋いでいく、という想いを込めて名付けられた「2016/(ニーゼロイチロク)」。柳原照弘氏、ショルテン&バーイングスをディレクターにむかえ、公募の上決定した総勢16 の窯元と商社、世界各国の16 組のデザイナー、佐賀県、有田町、そしてオランダ王国大使館との連携により、民官一体となり、国も超えて作り上げる新ブランドである。
「2016/ project」という壮大なプロジェクトの始まりを語る上で欠かせないのが、2012年にスタートした有田焼の新ブランド「1616/arita japan(イチロクイチロク アリタジャパン)」だ。柳原照弘氏は、食器から家具、空間のデザインまでボーダレスに活動することで知られ、「1616/arita japan」のクリエイティブディレクターでありデザイナー。同ブランドのデザイナーでもあるショルテン&バーイングスの「1616/S&B」は、世界のベスト・デザイン賞「エル・デコ インターナショナル・デザイン・アワード(EDIDA)2013」のテーブルウェア部門で世界一に輝いた。
この1616/arita japanにおいて、柳原氏はまず「商社と窯元の売上を得るだけでない、有田全体とこれからの50年を見据えた商品づくりができないか」と考えたという。「トレンドとは、結果的に流行となったものであって、追うものではない。これまでの有田のものづくり、とくにバブル期以降は『有田焼とはこういうものだ』と束縛されていた。前を見て、必要とされるものを作ろう。有田という多彩なものづくりがあることを、世界に向けて発信することが1616/arita japanの役割で、デザインだけではなく、あくまでも有田の『技術力』を世界に見てもらうことが狙いだった」。1616/arita japanを成功の経験と位置づけ、多彩なデザイナー陣と商社・窯元に拡大させ、有田という地域のブランドとして「2016/」が誕生する。
有田という「多層性の魅力」をうつわに表現する
2016/のラインナップは、オリジナル性、技術面やデザイン面でも個性がある革新的なデザインで、器(うつわ)という枠を越え、インテリアオブジェなど様々に展開する「Editionシリーズ」と、日常生活での機能性を重視した、低~中価格帯が中心の「Standardシリーズ」の2種。
柳原氏は、Editionシリーズを「今できる技術力・デザイン力を駆使し、価値を認めてくれる人に響く、歴史的に価値のあるもの。有田焼のストーリー、歴史を見てもらうためのもの」を目指すと話す。Standardシリーズはその有田焼のストーリーを内包しながら「各窯元・商社がビジネスで成功できるようなもの。有田焼として買ってもらえるもの」にしたいと語る。「世界での有田の印象は、磁器の産地ではなく『一企業が経営する1ブランド』だと思われている。有田焼のディテールはそもそも評価されているので、評価基準を変える試金石が1616/arita japan。2016/ projectは、窯元や商社の各々のブランド力を直接的に高めるプロジェクトではない。参加している窯元や商社が団結して有田焼全体のブランド力を高めることが目的だと理解してもらっている。有田がいろんな人と技の集積地だということを、まずは伝えなければいけない。有田の魅力は、いわば人と技が幾重にも連なる『多層性』にある。今回のものづくりをきっかけとして、有田の魅力が多彩な『レイヤー』によって構成されていることを伝えたい」。
この2016/では、デザイナーから提案されたデザインを、窯元がブラッシュアップし、商品を作り上げる。窯元たちが持ちえる技術を駆使し、新たなデザインに挑戦する経験は、有田の魅力に「新機軸」というレイヤーが加わることに他ならない。
クリエイターの提案から見える、ハンドメイドの可能性
2014年7月以降、オランダをはじめアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、スイス、スウェーデンといった世界各国の多彩な顔ぶれの参加デザイナーが続々と有田を来訪。それぞれが独自の視点で有田焼の「手仕事」を見聞きし、クリエイションの手がかりを模索した。ある窯元は、このヒアリングの作業を経て「基本、製造工程が変わることはないが、デザイナーからのプロットや出来上がった試作品を見て、『これが売れるの?』と思う窯元もいるかもしれない。しかし、そんな疑問がわくこと自体、すでに『自分たちの頭が固い』ということ。作り手が作ることに徹することができるかどうかが鍵だ(宝泉窯・原田元氏、以下同)」と感じたと話す。窯元たちは、デザイナーから相談されれば(経験上の)意見は伝えるが、あくまでもデザインの提案はしない。「意見をすれば、それまでの有田焼と変わらない仕事になる」からだ。一方デザイナーたちは、有田の「製造のプロセスには必ず『人』がいて、機械にはできない微妙な作業が可能なところ」に驚きを覚えたという。「今までは自分たちの『ものづくり』が付加価値になるとは思ってもみなかった。機械化されていないハンドメイドのクオリティをアピールすることが、世界に認めてもらえる」と改めて気づかされたのだ。
現在、16組のデザイナーからの提案を終え、窯元、商社、技術センターがチームとなり、デザインプロセスの確認から調整を経て、基本デザイン案を検討している段階だ。
―今から遡ること400年前、それまで見たことのなかった「白い」磁器といううつわの出来上がりに、「ものづくり」の職人たちは、何を思ったのであろうか。この誕生という苦しみが喜びへと変わる瞬間が、今ふたたび「2016/」として有田に訪れようとしている。